うつ病から社会復帰するまでのロードマップ Part 2

私がうつ病から社会復帰する時にどのようなステップを踏んだのか、という個人的な体験談です。Part 1では独自のスタイルで在宅リハビリをしました。Part 2では図書館で働き、Jazzに出会い、祖父との別れを越えて社会復帰へ第一歩を踏み出すまでのお話です。

目次

ある朝「孤軍」が天から降ってきた

うつ病回復期、市立図書館に採用される

約1年間、他人からは奇行にしか見えない独自のリハビリによって少しずつ回復した私は、次は現実的に、経済的に自立したいと考えました。

とはいえ、ハードルを上げすぎるとうつの揺り戻しが来るのが分かっていたので、自分に課す負荷は最小限から始めたかった。でも、そんな都合の良い仕事なんてあるのでしょうか。

…あったんですこれが。外出リハビリの一環として、いつも通うようになっていた市立図書館が、広報で臨時職員の募集をしていたのです。

仕事内容は、本の配架作業とカウンター受付のみ、週2日。図書館の受付が混んでいることはあまりないので、慌ただしいこともなさそうです。勤務地も徒歩圏内。これは、今の私にちょうど良い。すぐに応募しました。久々の面接は緊張しすぎて記憶がありませんが、なんと…採用通知をいただきました!

無職の病人になって3年の月日が経っていました。

祖父の認知症が進行する中、介助者という役割を得て自尊心が回復

働き始めてしばらくした頃、同居している祖父の認知症はかなり進んでいました。幻聴が聞こえるらしく、突然「誰かが呼びに来ている!」「怪我はないか!?」と夜中に起こされることがあり、寝不足で出勤する日もありました。

服を裏返しに着たり、食べ物でないものを口にしたりと、心配な行動も出てきましたが、私にとっては相変わらず朗らかで優しいおじいちゃんでした。

うつ病の時は自責の念が強く、自分が何の役にも立っていないという無力感に苦しみましたが、祖父の介助という役割を得たおかげで、私にも家に居る意味があると思えましたし、幼少期から面倒を見てくれた祖父へ恩返しする機会に恵まれたともいえます。自分のことをそこまで「いらない人間だ」とは思わなくなり、精神的に安定しました。本当に祖父にはいつも助けられていました。

学生時代に描いた、昼寝をする祖父と猫たち

エネルギー不足が災いし、再び手痛い失敗

図書館での配架作業は、配置ルールを覚えると簡単なのですが、紙は意外と重く、はじめは体力的にキツかったです。寝不足の日はめまいで足元がふらつき、本を抱えたまましゃがんでやり過ごすこともありました。臨時職員はバックヤードで数名が一緒にお弁当を食べますが、私は休み時間は気が抜けて、うつ病特有の暗さを発揮してしまいました。(医師の説明では陰性症状というらしい)

同僚とコミニュケーションを取るわけでもなく、俯いて黙ってしまいます。エネルギーが限界で、雑談どころではなかったのですが…。やはり社会は甘くなかった。

ある年上の女性が、私に対して嫌悪感を示す態度を取り出したのです。その人にとっては、私は常に深刻ぶってうっとうしい陰気な奴でしかありません。そのつもりがなくても、うつ病患者は暗いオーラを放ち、その場の空気を滅入らせることがあります。自分だけが大変だと言いたげな態度に見えたかもしれません。あぁ、心当たりしかない。爽やかさマイナス100で申し訳ない…。

職場に居る以上、どんな言い訳があっても許されないのが働くということ。3年の療養生活で社会と隔離されていた自分には、他者からの否定的な態度が痛く刺さります。

しかし中にはそれとなく事情を察してくださる職員の方も居ました。その方も病気や介護の経験者なのかもしれませんし、他にも私のような職員を雇った経験があったのかもしれません。

年上の彼女も何か事情があり余裕のない状態だったのかもしれません。ともかく、掴んだ仕事を手放さないために、なるべくうつ症状を見せないよう仕事に専念し、頑張るしかありませんでした。

音楽は唐突に、光のように降り注ぐ

朝の図書館に降り注ぐ心地よい音楽



そんなある日、朝の掃除の時間に棚を拭いていると、館内の天井スピーカーから聴いたことのない音楽が流れてきました。尺八のような和楽器と西洋の音楽が融合していて、メロディーがあるのに風や波の音に似た自然音のような雰囲気があり、雅楽にも似ています。

私にはその音がとても心地よく感じられて、世の中にこんな音楽が存在したんだと感動しました。まるで天井からキラキラと光る柔らかくて暖かい羽衣が降りてきてフワッと包まれるような体験。

スピーカーの音源はカウンター裏のオーディオで、貸出し用のCDに音飛びがないか検証するためにプレイしているところだったのです。拭き掃除をしながらこっそりアーティスト名を見に行きました。色褪せたテプラが貼ってあるビニルケース。古びたCDには「秋吉敏子=ルー・タバキン ビッグバンド」の文字。目に焼き付けて、帰宅後にネットで検索しました。

耳に残っている音楽を頼りにCD試聴ファイルを探し、曲名が解った瞬間、何かが込み上げて来て涙が…。

『孤軍 (Kogun)』

当時、学生時代の友達は立派な社会人に成長していて、結婚や育児にも取り組み、病気の自分とは疎遠になっていました。家族と暮らしていて孤独とは思っていませんでしたが、『孤軍』の2文字がギュッと心臓を掴みます。

神様が本当にいるかはわかりませんが、その時の『孤軍奮闘する自分』のイメージと重なり合って、まるで天からの贈り物のように感じたことは今も鮮明に覚えています。

物知らずな私はその時初めて、「どうやらこれはJazzというジャンルの音楽らしい」ということを知り、この世には、まだ知らない素晴らしい音楽があるんだ。もっと聴きたい、と心の底から思いました。

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祖父と図書館に別れの挨拶、新しい出発へ

図書館に勤務して3ヶ月が経つ頃、貸出しカウンターで本の清掃をしていると、突然、母がただならぬ表情で私を呼びに来ました。少し前から入院していた祖父が危篤との知らせでした。早退して病院へ駆けつけると、祖父はすでに意識がありませんでした。

親戚が集まり、皆で祖父を見守りましたが、夜になっても容体に変化がなかったので、しばらくは大丈夫だろうと判断し、翌日の仕事もあるため家族と親戚は一旦帰宅することになりました。しかし、私は直感が働き、祖父のベッドを離れることができず、病院の待合室のソファと毛布を借りて一人残ることにしました。

深夜に看護師さんに呼ばれて病室に入ると、祖父の身体は熱く、呼吸はまるでふいごのようで、石炭が燃える時のように芯が赤く輝いているように感じました。最後の命が燃え尽きる。私が手を取ると、祖父は握り返し、一つ大きく息をして亡くなりました。

シンと冷え込む1月初旬のことでした。

高齢で大往生のため「ありがとう。おつかれさまでした。」という感謝ばかりですが、何か一つの時代が終わったような喪失感があり、しばらく呆然と過ごしたことを覚えています。

その年の秋、図書館の仕事は特別なトラブルもなく満期終了となりました。祖父を看取り、仕事をやり遂げ、自分はやるべきことをやったという感慨深さがありましたが、それと同時に一気に使命感から解放され、生き甲斐を無くしたようで、急に寂しくもなりました。

それでも、無職の病人から一歩抜け出せたという事実は大きな励みになりました。うつ病で3年も療養していた私がここまで這い上がったのですから、自分で言うのもなんですが大したものです。

その頃、友人から「あなたは今まで苦労したから、これからは自分のために楽しいことをしよう」と優しい言葉をかけられ、心が温かくなりました。

Part 3 へ続きます。

※個人の体験談です。医療アドバイスではありません。体調の判断は医師にご相談ください。

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