うつ病から社会復帰するまでのロードマップ Part 3

私がうつ病から社会復帰する時にどのようなステップを踏んだのか、という個人的な体験談です。Part 1では独自のスタイルで在宅リハビリをしました。Part 2では図書館とJazzに救われ、祖父との別れを乗り越えて社会復帰への第一歩を踏み出します。Part 3では、うつ病を再発しない生活を求め試行錯誤し、新しいライフスタイルを実践するお話です。

目次

うつ病を再発しない生活を求めて

念願の正社員に昇格したが、再び体調が最悪に

リハビリ後、初めて採用された図書館の臨時職を満期終了し、次に就職した会社は、結論から言うと完全にミスマッチでした。療養期間に貯金の大半を切り崩したため、早く巻き返そうと適性より給与の高さを優先したのが敗因でした。

地元の中小企業にパートで入社した後、ニュースレターなどのデザインを任せていただき、正社員に昇格したのですが、この会社は元々電話受付が主で他に私と同じ職種の先輩などは居ません。そのため、制作分野に理解が乏しく、悪気なく無理難題を持ちかけられました。

当時はうまく断ることも説得することもできず、結果的にうつ症状が重くなり辞職することになりました。就職氷河期世代の自分にとっては念願の正社員でしたが2年も持たず、とても悔しかったです。しかし、本格的に再発すれば今までの努力が全て水泡に帰すことは明らかでした。

仕方なくまたしばらく療養することに…。その期間に経済的な理由から心療内科に通うのを止め、勝手に向精神薬を断薬したことにより離脱症状という激しい苦痛を味わう経験をしました。

本当に危険なので自己判断での断薬は絶対にやめた方が良いとお伝えします。私の場合は数日でおさまりましたが、あの脳が引っ掻き回されるような気持ち悪さ、今考えてもゾッとします。必ず医師と相談しながら徐々に減薬しましょう。

顔がただれるストレスの極致。皮膚科の漢方医が私の救世主だった

用意周到にリハビリをしたのにうつ病が再発しかけ、また無職になり、私は完全に心折れていました。その頃30代前半だったこともあり、周りから婚活しないの?というありがちなプレッシャーをかけられていもいましたが、それどころじゃない。それどころじゃない。(大事なことなので2回言いました。)

職場でのストレスから顔面は吹き出物で真っ赤になり、右側は首までただれていました。いくら化粧品を変えても、食べ物を変えても全く良くなりませんでした。肌がこうなると、毎日憂鬱でもう誰にも会いたくありません。

美容皮膚科にかかっても改善しなかったので、最後の望みをかけて鍼灸院を併設している漢方医の皮膚科に行ってみることにしました。年季の入った医院の看板。診察室に呼ばれて入ると、80歳は超えているであろう仙人のような佇まいの医師と目が合いました。その方が私の救世主となる、Y先生でした。

Y先生は話に聞く漢方医のイメージ通り、舌を見て、脈を測ります。血圧と脈を測り終えて一言、「低すぎる…あんた…これ、死によるぞ…?」そう言われても「あ、そうかも…」としか思えず。

血液検査では「お酒飲みすぎてないか?肝臓の数値がおかしい」「いえ、一滴も飲みませんが…」顔の皮膚については、「吹き出物が首まできたら末期よ」とのこと。Y先生、ワードチョイスが不穏すぎませんか。

しかし、言葉に飾りがなく不思議と安心感があります。私は直感に従ってY先生の処方してくださった2種類の漢方薬を信じて服用することにしました。

心療内科で処方されていた向精神薬が肝臓に影響することは知っていたので、数値の異常はその副作用である可能性が高かった。皮膚の状態は内臓から回復させないと治らないという言葉にも説得力がありました。

「抑肝散陳皮半夏」「酸棗仁湯」この二つの漢方薬をそれぞれお湯に溶かし、ぬるい薬湯の状態にして少しずつ飲みます。漢方薬は苦くてまずいと思っていましたが、どちらもすごく美味しく感じ驚きました。身体が求めていたかのようにやけに落ち着く風味で、むしろもっと飲みたいくらいでした。

治療という感じもなく、ただ美味しく薬湯を飲んだだけですが、2週間もすると気分が楽になっているのを感じます。睡眠も深くなり、シクシク締め付けられるような上半身の痛みが消えていきました。しかも、吹き出物も明らかに減っていました。今まで色々な治療を試しても無駄だったのに、漢方が身体に合っていたのか、短期間でここまで改善するとは驚きでした。

抑肝散陳皮半夏はイライラに効く薬、酸棗仁湯は気持ちを落ち着け眠りを深くする薬。どちらもうつ症状への対処であることがわかります。吹き出物には傷薬の軟膏だけでした。

最終的に、私のうつ病を寛解させてくれたのは、意外なことに精神科でも心療内科でもなく、皮膚科の漢方医であるY先生だったのです。(私の場合そうだったということで、精神科や心療内科の治療を否定する意味ではありません。)

以降、調子が悪くなると駆け込む私の救世主的存在になったのですが、ご高齢となり引退されたので残念です。Y先生のことは今でも一生の恩人と思っています。

あまり期待していなかったが、漢方薬の効果はすごかった。

背伸びしない。仕事をできるようにするのではなく、できることを仕事にする決断

とても残念ですが、2度の療養生活を経て、自分には正社員でフルタイム働けるような人並みの体力が無いと自覚しました。うつ病は何度も再発すると回復が難しくなると言います。次に重症化すれば精神障害者手帳が必要となる可能性もあり、申請方法を調べ始めていましたが、それは最終手段として考えていました。

ここは正規雇用や職種にこだわることを止め、無理なくできる仕事を探すのが得策です。学生時代に思い描いていた未来のキャリアとはかけ離れていて惨めな気持ちもありますが、事実を受け入れるしかありません。

以前、図書館では問題なく働けた経験を思い出し、次は博物館の書庫整理の短期バイトに応募しました。少人数で古書の装備と書架への移動作業をするという内容でした。たった2ヶ月間とはいえ、病み上がりで不安でしたが、無事に完遂することができ心底ホッとしました。

また不思議なことに、この職場に通勤すると疲れるどころか体調が良くなっていきました。博物館の近辺は山で自然が多く、朝は木漏れ日が美しく空気が澄んでいて、土地のエネルギーのようなものを感じます。館内も静かで広く、内装は圧迫感がなく落ち着いた雰囲気で、温度・湿度の管理が行き届き、環境は最高に恵まれていました。

この経験により、身を置く場所によって体調が全く違うことに気付き、可能であれば自分に合う勤務地や建物を選ぶことも働く上で大事な要素だと学びました。

そんなわけで、博物館にもっと通いたいという理由から、次は特別展で貸し出す音声ガイドの受付スタッフに応募しました。競争率が高そうだったので、不採用でも仕方ないと覚悟していましたが、奇跡的に採用され本当に嬉しかったです。

大人気の特別展の会期中は、開館前から数百名の来館者が玄関前で待機しており、1日で2000台以上のガイド機を貸し出すこともありました。書庫整理とは違い、殺到するお客様と使用法を説明するスタッフの声と、機械のメンテナンスの音がガヤガヤと混じり合い、まるで鮮魚市場のような活気です。

息つく暇もないほど忙しいのですが、意外にも辛くありません。毎日数百名を接客していると、対人恐怖も薄れてきました。

また、採用面接担当のチーフの女性が同年代で、とても聡明な方でした。その方曰く、「私は人を採用する時に妥協はしません。以前に違和感のある人物を採用してしまって、チーム全体が悪影響を受けたことがあったので、人手不足になっても納得できる人材が来るまで面接を続けます。」とのこと。

では、私はチーフから見て少なくとも一緒に働こうと思える人間だったということです。長期間病気療養をしたので、自分は歳の割に社会人として未熟で変に見えるのではないかと常に疑っていたため、この言葉は自信を取り戻すきっかけとなりました。他のスタッフも博物館好きで個性的な人が多く、気が合うので仕事に行くのが楽しみでした。

ここでは、既に備わっている能力にフォーカスし、身の丈に合う業務を選ぶことで、無理なく力を発揮できるということを学びました。

通勤するほど元気になっていく。自然のパワーは計り知れない…

うつ病経験が役に立った、子ども絵画教室の仕事

30代半ば、すっかりアルバイターが板に着いた私は、雇用形態や給与水準に対する向上心を失くしていました。一般的には良いことではありませんが、うつ病を経験すると、毎日が平和に過ぎること以上に望むものはありません。無理をせずできることを淡々とこなす日々でした。

さて、博物館では特別展会期が終わると同時に音声ガイド機の貸出しもなくなるため、臨時スタッフは一旦解散します。別の博物館や美術館に行くこともありましたが、基本的には次の特別展まで仕事がなく、収入は不安定でした。

毎月の収入を確保するため、音声ガイドの仕事に登録したまま、パートタイムで子ども向け絵画教室の講師をはじめます。3歳〜12歳までの子ども達と絵を描いたり工作をしたりしました。この仕事は4年以上続きました。

生徒さん達と接している中で、うつ病のおかげで以前より人の気持ちが繊細に理解できるようになったことに気付きました。例えば、小さい子は頭で理解しても手先が思うように動かなかったり、うまく表現できなかったり、もどかしそうにしている時があります。たまには癇癪を起こす子もいましたが、今の私にはそのもどかしさ、悔しさ、よく分かります。

あまり偉そうなことは言えませんが、教室では先生という立場の大人の影響力は強いです。ともすれば、余計な一言で彼らの自発的な表現の芽を摘んでしまうかもしれません。

なので、生徒さんたちが何を感じているのか観察し、何かを発見するのを急かさず、押し付けず見守ることは重要でした。毎回、絵画的・工作的な課題は用意するのですが、早く上手にクリアするのが良いこととは限りません。その日一生懸命取り組んで楽しんで描けたら素晴らしいという方針でした。その方が、やる気を出してもらえることも多かったです。

以前なら、できない・わからない時の気持ちを汲み取れず、助言するにも落ち着いてベストなタイミングを待つことができなかったかもしれません。

私には子どもが居ないので、教室で多くのお子さんやご家族に接することができ、とても幸せでした。引きこもり時代には考えられないほど視野が広がり、大変感謝しております。

短い間でしたが、職業としてだけでなく人として学ぶことも多く、実り多い時間を過ごしました。

ここでは月に数日、講師として責任を持って分教室を運営しましたが、立場としてはやはりパートタイマーでした。社員になるには遠方の本部まで長距離の運転が必要なため断念。ダブルワークの音声ガイドの仕事も休止期間が長く経済的に行き詰まり、また別の仕事を探すことになりました。

教室を新しい先生に引き継いだ時は後ろ髪を引かれる思いでしたが、学生時代からずっと積み上げてきた美術の分野で誰かの役に立つという経験ができ、幼い生徒さん達との楽しい思い出は貴重な宝物となりました。

短い間でしたが、生徒さん達の成長を見ることができ幸せでした。

気が付けば、うつ病から社会復帰を果たして10年以上が経っていた

次の仕事は現職のため、あまり詳しくは言えませんが、画像加工・デザイン系の技術職でした。この会社には以前に一度だけお客さんとして行ったことがあり、素敵な場所だなという印象がありました。まさか後に働くことになるとは思いませんでしたが、これも何かのご縁です。週3日のパート雇用からスタートし、今も在籍中です。

30代後半になると、ダブルワークが自分の働き方の最善策として確立していました。常に2つ以上の仕事を持つことで収入の柱を増やし、精神的にも経済的にも一箇所に依存しないようにしていました。

当時、派遣という働き方も増えていましたが、関わるプロセスが少ない方が気が楽なので、直接雇用に絞って探しました。一般に派遣の方が給与が高い傾向にあり、周囲で同じような働き方をしている人は誰もいません。うつ病がなければ、私もこの選択肢は取らなかったでしょう。

その後、2020年頃からコロナ禍で業務が減少、現在は回復したものの、作業効率を優先し在宅ワークとなりました。しかし、2024年頃から本格的にAIの画像加工ソフトが導入され、制作の現場は大きく変化しています。

皆様の職場ではいかがですか?私は、どうにか時代の波にうまく乗れるよう細々と頑張っているところです。

…ということで、なんともスカッとしない結末ですが、事実とは往々にしてこのようなもの(笑)うつ病から社会復帰するまでのロードマップはこれにて完結となります。

おわりに。今、悩んでいるあなたに笑ってほしい

現在40代の私は、相変わらず不安定な暮らしをしています。長期の療養生活は実家の助けがなければ成り立ちませんでしたし、社会復帰後も完全に自立して大成功とはなりませんでした。

今のWebやAIなどから得る医療情報と比べれば、当時の私の判断はあまり賢いとは言えず、もっと医療や福祉に頼るべき場面もあったように思います。

うつ病になる前の私は、自分を嫌い、自分でないものに作り変えようとして壊れてしまったのかもしれません。いつも憧れや遠くの目標ばかり見ていて、現実の自分はいつもダメで、自分の外側に他にもっと素晴らしいものがあるはずだと考えていました。

うつ病後の私は、目標や目的地というものはなく、今歩いている場所の景色を味わい、咲いている花を見ている時間の連続があるだけで、たどり着いたところを目的地だったと思うことにしよう。という考えでいます。単純に歳を重ねて現実を知ったということでもありますが。

また、うつ病経験から得た知見も多くありました。

人の感情は生きる上で大事なセンサーであり、他者に否定されたからといって、無いことにして良いものではありませんでした。私は誰かに否定される度、世界一の理解者であるはずの自分自身を他者の味方側に立たせ、一緒になって必要以上に自らを責め立てることをしていました。

自虐しながらその反面「そんなことないよ」と言ってくれる誰かの助けを待つような気持ちがあり、それは幼い依存心から来るもので、自分の芯を脆くしました。

脅威に相対した時、ここから先は侵入させないという境界線を持たない者は容易に侵食されます。自身の感情に耳を傾け、直感を働かせることは、感情に振り回され論理を捨てることとは違います。危険を察知して逃げる勇気を持つこともまた、自分を守るために必要なことでした。

病気を引き起こすまで、私にはこれが解らなかった。はじめから知っていたら、どんな未来だったでしょうか。

ゲームなら分岐点に戻れるのに、と思うことがある。

Part1~ 3と長文になりましたが、お付き合いいただいた読者の方へ心より感謝申し上げます。しんどい話を読んでくださって、本当にありがとうございました。

これは私個人の小さな物語ですが、もし同じように悩んでいる人がいたら「こんなお豆腐メンタルでも生きているんだな〜」と、ちょっとでも笑ってもらえたらうれしいです。顕微鏡をのぞいて微生物を見るような「あ、なんかいる」くらいの距離感でOKですので、よろしければまた来てください。

※個人の体験談です。医療アドバイスではありません。体調の判断は医師にご相談ください。

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うつ病から社会復帰するまでのロードマップ Part 1 重症期〜在宅リハビリ編

うつ病から社会復帰するまでのロードマップ Part 2 図書館とJazzと社会復帰編

図書館をおすすめする理由についての記事はこちら。

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